シュメール人は人類最古の文明を築いた民族として知られているが、その後なぜ消えたのかについては今も多くの謎が残されている。アッカド帝国に飲み込まれたことや、他の民族との戦いに負けたこと、さらには農業の土地が塩でだめになったことなど、歴史学的な理由が指摘されている。一方で、宇宙人に連れて行かれたとか、神殿から異世界へ行ったといった都市伝説も語られ、危険な技術で自滅したという説まで存在する。
また、シュメール人と日本人に似ている説や、シュメール人の顔立ち、正体と特徴をめぐる研究も続いている。天皇との関係を語る説や、白内障の手術をしていた可能性などもあり、その姿は歴史と都市伝説が交錯する存在といえる。

この記事では、シュメール人はなぜ消えたのかを歴史学的な要素と都市伝説的な要素の両面から紹介し、さらに彼らがどんな民族であったのかを解説していく。
シュメール人はなぜ消えた?歴史学で語られる5つの理由

- アッカド帝国に飲み込まれた
- 他の民族との戦いに負けた
- 農業の土地が塩でだめになった
- 都市同士の争いで弱っていった
- 後のバビロニアに同化した
アッカド帝国に飲み込まれた
シュメール人が消えた大きな要因のひとつは、アッカド帝国による征服である。紀元前24世紀、サルゴン王が築いたアッカド帝国はメソポタミア全域に勢力を広げ、シュメールの都市国家もその支配下に入った。都市国家を中心に発展してきたシュメール人は、この時点でアッカドの行政システムや文化に統合されていった。
アッカド人はセム系の言語を話しており、シュメール語とは系統が異なっていた。しかし帝国の公文書や宗教儀式の場ではしばらくシュメール語が使われ続けたため、完全に消えることはなかった。それでも日常生活ではアッカド語が優勢となり、シュメール語は次第に「死語」となっていった。
シュメール人は突然いなくなったのではなく、より大きな国家に組み込まれて同化していったのである。民族としての独自性は薄れ、存在感を失っていった。
他の民族との戦いに負けた
シュメール人の衰退には外部からの侵入も大きく影響している。紀元前2000年ごろになると、アムル人(アモリ人)やエラム人といった周辺民族が次々と侵入してきた。彼らは軍事力や人口で優位に立ち、シュメールの都市を攻撃した。
遊牧民の侵入も絶えず、農業を中心とした都市国家は防衛に苦しんだ。度重なる戦争で都市は破壊され、住民は疲弊し、経済力も弱まった。都市の基盤が崩れると、シュメール人は徐々に勢力を失い、他民族の支配を受け入れざるを得なくなった。
シュメール人は戦乱による敗北によって主導権を失い、支配民族の座から退いたのである。
農業の土地が塩でだめになった
シュメール文明の基盤は灌漑農業であった。チグリス川とユーフラテス川の恵みを利用し、大規模な水路を作って農地を潤したことで都市が発展した。しかし、この灌漑農業には大きな落とし穴があった。
長年にわたる水の供給で土地に塩分がたまり、作物が育たなくなったのである。特に小麦は塩分に弱く、収穫が大きく減少した。やがてシュメールの農民たちは小麦に代わって比較的塩害に強い大麦を栽培するようになったが、それでも人口を支えるには不十分であった。
食糧不足は都市の衰退を招き、周囲からの侵入に対抗する力も失わせた。塩害による農業崩壊は文明の根幹を揺るがす深刻な問題であり、シュメール人が衰退した大きな理由とされる。
都市同士の争いで弱っていった
シュメールの文明は、統一国家ではなく独立した都市国家が集まって成り立っていた。ウル、ウルク、ラガシュ、ニップルといった都市は、それぞれ王を持ち、神殿を中心に発展していた。しかし、都市国家間の対立は絶えなかった。
領土や水利をめぐる争いはしばしば戦争に発展し、同じシュメール人同士が敵として戦った。勝者の都市が一時的に覇権を握っても、別の都市が力をつけて反抗し、また戦いが繰り返された。
この内紛の連続がシュメール全体の力を弱め、外部の脅威に立ち向かう余力を失わせた。もし都市同士が協力していれば違った未来もあったかもしれないが、分裂が続いたことが衰退を早めたと考えられる。
後のバビロニアに同化した
シュメール人が完全に消えたわけではないことを示すのが、後のバビロニア文明への継承である。アッカド帝国の崩壊後、メソポタミアではバビロニアが台頭した。そこにはシュメールの文化的要素が多く取り入れられていた。
楔形文字はバビロニアでも使われ続け、法律や学問の基礎となった。シュメールの神々もバビロニアの神話体系に組み込まれ、ジッグラトの建築様式も受け継がれた。民族としてのシュメール人は同化して姿を消したが、文明のエッセンスは形を変えて生き残ったのである。
シュメール人は「消えた」というより「溶け込んだ」と表現するほうが正しいだろう。
シュメール人はなぜ消えた?都市伝説で語られる5つの理由

- 宇宙人に連れて行かれた
- 神殿から異世界へ行った
- 危険な技術で自滅した
- 現代人の中に混ざった
- 歴史から意図的に消された
宇宙人に連れて行かれた
最も有名な都市伝説は「宇宙人アヌンナキによる連れ去り説」である。シュメール神話に登場するアヌンナキを、地球にやって来た宇宙存在と解釈する説がある。ゼカリア・シッチンは著作の中で、アヌンナキは惑星ニビルから来て人類を創造したと主張した。
この説によれば、役割を終えたシュメール人はアヌンナキによって連れ去られた。考古学的証拠は存在しないが、「突然高度な文明を築き、また突然消えた」という事実が、この仮説を後押ししている。
神殿から異世界へ行った
シュメール文明を象徴する建築物にジッグラトがある。宗教施設とされるが、都市伝説では「異次元の扉」と解釈されることがある。
ジッグラトは「天と地を結ぶ場所」とされ、一部の人々はそこを通って異世界へ移住したと考える。神々が天に昇ったという伝承も、異世界移動と結びつけられる。科学的証拠はないが、巨大な神殿が「ゲート」であったとする発想は、今も人々の想像をかき立てている。
危険な技術で自滅した
シュメール人は天文学や数学に精通していた。そこに「禁断の兵器」が含まれていたのではないかという説がある。
古代に核戦争があったとする説は、ガラス化した遺跡などを根拠に語られる。これをもとに「シュメール人は神から授かった技術を誤用し、自滅した」とする仮説が広まった。
考古学的には自然現象や火災の痕跡とされるが、古代文明が自らの技術で滅んだという発想は恐怖を伴う魅力を持つ。
現代人の中に混ざった
シュメール人は消えたのではなく、現代人の中に溶け込んだという説もある。実際、文化や言語はバビロニアやアッシリアに継承された。しかし都市伝説では、血統そのものが残っていると語られる。
支配層や王族にシュメールの血が流れているという噂は根強い。科学的根拠はないが、古代文明が今も生きていると考えると、消滅の謎は別の意味を帯びてくる。
歴史から意図的に消された
シュメール人は高度すぎる文明を築いたため、後の支配者にとって不都合な存在だった。そこで記録を意図的に抹消されたのではないかという説もある。
シュメール史は断片的で、王朝の系譜や民族の行方は不明な点が多い。この「空白」が意図的に作られたのではないかと考える人もいる。
歴史は勝者によって書かれる。シュメール人は「消えた」のではなく「消された」のかもしれない。
シュメール人とはどんな民族だったのか?
- シュメール人と日本人に似ている説
- シュメール人の顔立ちはどうだったのか
- シュメール人の正体と特徴に迫る
- 宇宙人とのつながりを指摘する説
- 天皇との関係が語られる理由
- いまだ解けないシュメール人の謎
- 白内障の手術をしていた可能性
シュメール人と日本人に似ている説
「シュメール人は日本人に似ている」という説が語られることがある。根拠は、彼らが「黒頭の民」と自称していた点や、出土した像の顔立ちである。テル・アスマルの奉納像は大きな黒い瞳を持ち、東アジア的に見えるとの意見もある。
しかし学術的に両者の関係を裏付ける証拠はない。シュメール語は孤立語で、日本語との関連は確認されていない。
この説は証拠不十分だが、「最古の文明と日本がつながっているのでは」というロマンをかき立てている。
詳しくはこちらの記事で解説している

シュメール人の顔立ちはどうだったのか
テル・アスマルの奉納像に代表されるように、シュメール人の顔立ちは大きな目と象徴的な表現で描かれている。瞳には黒曜石や貝殻がはめ込まれ、信仰心を表す造形であった。
彼らは自らを「黒頭の民」と呼んでいたが、それが外見を指すのか都市住民を意味するのかは議論がある。
顔立ちに関する確定的な証拠は少ないが、後のメソポタミア美術に影響を与えたことは間違いない。
シュメール人の正体と特徴に迫る
シュメール人の起源は未解明である。紀元前4000年頃に南メソポタミアに定住したが、どこから来たのかは不明だ。
彼らの特徴は、楔形文字の発明、灌漑農業の発展、神殿や多神教体系の構築にある。これらは後のバビロニアやアッシリアに受け継がれた。
正体は謎に包まれているが、文明を形づくる基礎を整えた民族であったことは確かである。
詳しくはこちらの記事で解説している

宇宙人とのつながりを指摘する説
ゼカリア・シッチンが広めた「アヌンナキ=宇宙人説」は今も根強い。アヌンナキが地球に来て人類を創造したという主張である。
学術的には根拠が否定されているが、突然高度な文明を築いたシュメール人の存在が、この説を支持する人々の想像力をかき立てている。
天皇との関係が語られる理由
ネット上には「シュメール人と天皇が関係している」という説がある。王権を神から授かるという考え方の共通点が、その背景にある。
学術的に両者の関係は立証されていない。しかし遠い文明同士を結びつける発想は人々を魅了してやまない。
いまだ解けないシュメール人の謎
シュメール人は大量の粘土板を残したが、起源や言語系統は依然として謎のままである。なぜあれほど急速に文明を築けたのかも不明だ。
人類最古の文明を築いた民族でありながら、その全貌が解明されていないこと自体が最大の神秘である。
白内障の手術をしていた可能性
シュメール時代やその後のメソポタミアでは、目の病に関する記録が残されている。ハンムラビ法典には「青銅のメスで目を開いた」という記述があり、眼科的処置が存在したことを示している。
白内障手術そのものを行っていたかどうかは不明だが、高度な外科医療を持っていた可能性は否定できない。こうした推測が、シュメール人の神秘性をさらに高めている。
シュメール人はなぜ消えた?歴史学と都市伝説から迫る10の理由まとめ
- アッカド帝国に飲み込まれた
- 他の民族との戦いに負けた
- 農業の土地が塩でだめになった
- 都市同士の争いで弱っていった
- 後のバビロニアに同化した
- 宇宙人に連れて行かれた
- 神殿から異世界へ行った
- 危険な技術で自滅した
- 現代人の中に混ざった
- 歴史から意図的に消された
- シュメール人と日本人に似ている説
- シュメール人の顔立ちはどうだったのか
- シュメール人の正体と特徴に迫る
- 宇宙人とのつながりを指摘する説
- 天皇との関係が語られる理由
- いまだ解けないシュメール人の謎
- 白内障の手術をしていた可能性